アーカイブ

自らの存在意義を喚起する

危機論者は自らの存在意義を喚起するため、いつのまにか無意識的に危機を待望するようになるという。私は、異文化間教育問題を扱う専門家といわれる人たちにも、同じような危険がはらんでいるように思えてならない。異文化間教育研究においても、内田の指摘どおり、研究対象となる人々が賢かったり、節度があり、聞分けがよく、周囲とうまくやっていたり、調和的な暮らしを送っているとき、異文化間教育問題の専門家たちの存在意義は減少する。その逆である場合、「話題喚起力」は大きくなる。そうした作用が実際にはたらくのか、「無力で弱い」対象者をいつのまにか、無意識的に希求している研究の語り口に出会うことが少なくない。その場合、研究者の関心とそこで生活する人々の関心は、一致しないことのほうが多い。たとえば、集団保育施設ではたらく保育士は「子どもが園生活を楽しみ、基本的生活習慣の自立をはかること」「家庭と園との良好な関係を築くこと」「子どもが友だちと心をかよわせて遊ぶこと」などを願って、保育の「ねらい」を設定し、保育を実践する。それに対して、(保育実践の場に必須な構成員でない)研究者はスリーR(thethreeRs)、つまり、読み、書き、計算など、後の学校教育で必要とされるレディネスを測定したり、保育実践の欠陥や隙間に焦点をあて、実践への介入を試みたりする。

[関連情報]
保育士を目指す方へ
http://www.seitoku.jp/kttcsu/